神戸とラグビー

神戸とラグビー

ラグビーの起源

ラグビーの起源は1823年、イングランドのラグビー校でフットボールの試合中、ウィリアム・ウェブ・エリスという選手がボールを抱えたまま相手のゴールを目指して走り出したことから始まったと言われているんだ!
ちなみに、大会の優勝トロフィーにはウィリアム・ウェブ・エリスの名が刻まれているんだよ!

神戸レガッタ&アスレチッククラブ

江戸時代末期の1868年(慶応4年)1月1日に神戸の港が開港して、様々な西洋の近代文化が神戸に入ってきたんだ。

その中にはスポーツもあって、サッカーやゴルフ、テニスと並んでラグビーも入ってきたんだよ。

1870年(明治3年)、神戸に来たA・C・シムという人が、KR&AC(神戸レガッタ&アスレティック倶楽部)というスポーツクラブを創設して、西洋のスポーツが広く知られるようになったんだ。

諸説あるんだけど、1876年(明治9年)12月8日に、KR&ACの人たちと、神戸に寄港中のイギリス軍艦
「Modeste号」の船員とが試合をした記録があって、そのルールがラグビーと似ていたことから、
これが神戸で初めて行われたラグビーと言われているよ。
出典:『神戸レッガタ&アスレチッククラブ』

神戸ゆかりの日本ラグビーの父クラーク氏

日本での本格的なラグビーのはじまりは、1899年(明治32年)の秋に、慶応大学でE・Bクラークという先生が、田中銀之助さんに手伝ってもらって、日本の学生たちに教えたのが始まりなんだ。

このときのチームが日本で最初のラグビーチームとされており、このことからクラーク氏は日本ラグビーの父と言われているんだよ。

その後、慶応大学ラグビー部は神戸の東遊園地でKR&ACと定期戦を行ったりしてるんだ。
なお、クラーク氏は、神戸発展の礎となられた数多くの外国人が埋葬されている「神戸市立外国人墓地」に埋葬されているんだ。

日本ラグビーの父と言われるクラーク氏が埋葬されている神戸で2019年にラグビーワールドカップ™が開催されることは、時代を超えた結びつきを感じるね。

関西学院とラグビー

神戸では、関学の愛称で呼ばれる関西学院が、神戸市灘区の原田の森に創設され、1912年(明治45年)5月には、高等学部を中心にラグビーの練習をはじめていたんだって。

当時の参加者は約30名。
練習スタイルはシャツに長い運動ズボンをはき、運動靴を履いていたんだ。

指導をしたのは、カナダのマウント・アリソン大学時代にラグビー選手だった、教師のアウターブリッジさん。

アウターブリッジさんは赤白縞模様のラグビーシャツに半パン、ラグビーシューズという本格的なスタイルで指導したんだ。
当時はまだ、ユニフォームもなかったんだね。
出典:『関西学院スポーツ史話』

神戸製鋼所ラグビー部のはじまり

神戸製鋼所のラグビー部は1928年(昭和3年)に創部されたんじゃ。
初練習は当時の関西学院グラウンド、今の現王子公園じゃな。神戸製鋼といえば赤のジャージがおなじみじゃが、それは1965年(昭和40年)から始まっておる。
1978年(昭和53年)には、オックスフォード大学(英)より選手を受け入れており、社会人チーム初の外国人選手が誕生したんじゃな。神戸らしいのぉ。
記念すべき1987年(昭和62年)第1回ワールドカップには、神戸製鋼から、林、萩本、大八木、平尾の
4選手が日本代表に選出された。誠に誇らしいことじゃ。
1988年(昭和63年)第41回全国社会人大会決勝で、東芝府中を破り初優勝。
つづく第26回日本選手権で大東文化大学を破り、初の日本一になったんじゃよ。怒涛の快進撃のはじまりじゃ。
出典:『株式会社神戸製鋼所』

神戸製鋼所ラグビー部の活躍と震災

この頃の神戸製鋼所ラグビー部は、監督制の廃止や「Steelers」ロゴの採用、芝のグラウンドの整備、
クラブハウスの充実など、革新的な行動で日本のラグビーを引っ張ったんだ。
だから誰もが憧れるチームとして選手も集まったんだね。1994年(平成6年)第47回全国社会人大会決勝で東芝府中を破り、新日鐵釜石以来のV7を達成。
つづく第32回日本選手権で大東文化大学を102-14で破り7年連続日本一を達成。凄いなぁ。
・・・しかし・・・
日本一達成の2日後、1月17日に阪神・淡路大震災が発生。
本拠地の灘浜グラウンドも液状化現象を起こし練習不能になったんだ。
出典:『株式会社神戸製鋼所』

神戸製鋼の復活とワールドファイティングブルの活躍

出典:『株式会社ワールド』(上)
『株式会社神戸製鋼所』(下)

1999年(平成11年)第4回ワールドカップに、中道、伊藤、岩渕、元木、吉田、増保、大畑が日本代表に選出された。第52回全国社会人大会決勝では、ワールドを破り5年ぶりに全国制覇を果たすのだよ。
決勝の相手は同じ地元神戸のワールド!
この頃のワールドもとても強くての、決勝は神戸決戦で盛り上がったのだぞ。
つづく第37回日本選手権大会決勝ではトヨタ自動車を破り2冠を達成し再び日本一になっておる。
2000年(平成12年)第53回全国社会人大会決勝では、トヨタ自動車を29-26で破り2年連続9回目の優勝。
つづく第38回日本選手権決勝ではサントリーと27-27の引き分けで両者優勝。

2003年(平成15年)第5回ワールドカップには
伊藤、斉藤、苑田、ミラー、
元木、大畑が
日本代表に
選出されて、
ワクワクしたのであるぞ。

神戸とラグビー

神戸のラグビーは神戸港の開港によってもたらされ、KR&AC(神戸レガッタ&アスレチッククラブ)や、神戸の原田の森にあった関西学院で始まり、神戸製鋼やワールドの活躍、タグラグビーの普及などで、今では身近なスポーツとして楽しめるようになってきたんだ。